tobi_102’s diary

たまに何か書く

Pervert and SDF

自分のためのただの愚痴とメモ
多分結構かなりセンシティブな内容なので読まないほうがいいです

特に青木のファンの人。

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※全敬称略

佐藤光留という人はとにかくよく喋る。

パイルドライバーにハードヒットのチケットを買いにいく、というただそれだけのイベントで今までどれくらい謎の情報を与えられたかわからない。ハードヒットの決定済未発表カードが主だが、そこから始まって関係ない雑談が延々続くことも少なくない。そもそもハードヒットのカードだって「決まってるカードはありますか?」とこちらから聞いたことは一度もない。店に入って、チケット買いにきました、と言うとそれだけで彼は次々にカードを教えてくれる。時には目の前でオファーの電話をかけることもある。何も言ってないのにな、と思いつつ、まあ、決まった経緯だとか実は存在する因縁だとか、面白いのでありがたく拝聴させていただく。

 

「今回の青木さんのカードはねぇ」
ここ最近の、最初の決まり文句だった。青木が海外遠征に行っている時は「青木さん今回はでないよ!」と開口一番言われた。
青木ファンだと言ったことは(多分)ない。青木のTシャツを着て佐藤と接触したことは、多分数回だけ。むしろ佐藤のTシャツを着て接触した回数の方が圧倒的に多い。それなのに私は青木ファンだと思われていたのだろうか(勿論ファンです)。ただまあ彼は自分のファンのことを変態と呼ぶことがあり、私も変態扱いされたことがあるので自分のファンであるという認識はあるのだろう。変態自衛隊のファン、という認識なんだろうか。正しくその通りではある。私の全日の入り口はエボリューションと変態自衛隊だった。今はちょっと三冠王者にホイホイされているけれど、彼らが私にとって特別な立ち位置であることは未だ変わりない。

 

だから6月、佐藤と接触したくなかった。

 

ぼんやりと嫌な予感がしていた。何がと言われると答えづらいけれど、何というか、嫌な予感がしていた。佐藤と接触した人の、「いつもと変わらなくて安心した」という言葉を見た。そうなのだろう。彼が売店で湿っぽくなることはない。何故なら彼はプロレスラーだから。興行の売店での彼は、プロレスラーだ。表現者。プロとして、「表現しない」ことは許されない存在。誰に許されないのかって、間違いなく彼自身にだ。
彼が自分自身に「表現しない」ことを許さなかったから、6/9のハードヒットは予定通り行われ、彼はあの時と全く同じ言い回しで関根に言葉をかけたのだと思う。沈黙して喪に服すという選択。それを彼は選ばず、ハードヒットを主催し、6/18のメイン後、思いの丈を吐き出すように泣きながら叫んだ。
あの言葉も気持ちも全部、例え彼が外に出さずにしまっていたとしても、絶対に誰も彼を責めはしなかっただろう。自分のプロレスの半分を失ったという彼がその大きすぎる悲しみを「表現しない」選択をしたとしても、一体誰が責められるというのだろうか。だから、本当はしなくても良かったのだ。しかし彼は「表現する」選択をした。それはひとえに、彼が「プロレスラーだから」、という以外の答えが見つからない。「誰かに話したかったから」という答えはこの場合は当てはまらないだろう。もしもそうしたければ、親しい人との間のみで言葉を交わせばいいのだから。
しかし彼が選択したのは、「大勢のファンの前で自分の気持ちを表現する」、という行動。それには、「プロレスラーだから」という答え以外はどう考えても当てはまらない。

 

だから売店で彼が湿っぽくなることは多分、ないと思う。でもそれなら、パイルドライバーではどうなのか。

 

パイルドライバーにいる佐藤光留は、アパレルショップ店員だが、勿論プロレスラーだ。ただ、そこに大勢のファンはいない。彼の「表現」を目の当たりにするファンは、例えば私しかいなければ数量的に一人だけ。それでもあえて何かしらを「表現する」必要はあるのだろうか?私には佐藤の美学や矜持はわからないので何とも言えないが、あの狭い店内は、「言う必要のないことを敢えて言う」場ではないと思う。特に、その内容がセンシティブであればあるほどそうだろう。

それなのになんとなく嫌な予感が拭えなかったのは、やはりどう考えても佐藤がとにかくよく喋る人だと言うことと、毎回最初に青木の名前を口にしていたからだろう。狭い店内で、センシティブな内容の話を敢えてする必要がない場所で、佐藤の口から青木の名前を聞くのはあまり気が進まなかった。じゃあなんで敢えて佐藤が店番の日を選んで行ったんだと思われるかもしれないけれど、どうしても本人に直接渡したいものがあったからで、それは完全に自己満足で気持ちの押し付けだったので、つまり何が起こっても佐藤が店番の日をわざわざ選択した自分が悪いので、本当はこんな話をだらだらと綴るのはお門違いなのだ。

 

ここから先は、青木のファンは読まない方がいいかもしれない。

 

パイルドライバーに着くと店内は誰もいなかった。数分前にツイートしていた主は不在で、店の前に看板が立っている。あまりの入りづらさに暫くそこで佇んでいると、少ししてからダンボールを抱えた店番が向こうからのっしのっしと歩いてきた。Jr.タッグリーグ開幕戦から売り出す新作Tシャツを引き取りにいっていたらしい。無用心すぎませんかと言うと、「自慢じゃないけどうち空き巣に入られたことが一回もないんだよね」と言ってにやにや笑っている。
いつも通りチケットを買うと、案の定決定済カードが佐藤の口からどんどん飛び出してきた。第一声で、「今回諏訪魔さんでるよ」だ。思わず「は!?」と叫んだことは許してほしい。いやだって普通にびっくりするでしょうそんなの。でも、どういう主旨のカードなのか聞いて納得、続いて聞いたルールに頭が混乱する。わかったことは、青木の追悼のために多くの選手が集まったということ。諏訪魔だけやけに大きいということ。覚えているのは、「今の時代SNSで気持ちを呟くことができるけど、僕らはプロレスラーとか格闘家だから。やっぱりそういう気持ちを試合として見せたいなと思ってね」と佐藤が言ったこと。(彼が「表現する」ことに関して、私の認識は間違っていなかったらしい。)

私は、意外と普通に佐藤の口から青木の名前を聞いていた。特にナーバスになることもなく、いつもの雑談と同じように聞いていた。だからだったのだろうか。普通すぎる反応だったから、話そうと思ったのか。わからない。改めて考えても全然わからない。

 

「京平さんとね、青木さんの実家に御線香をあげにいったんだけどさ。仏壇があるじゃん。線香があって青木さんの位牌があって、青木さんの骨があって、その横に僕と青木さんのタッグの写真が飾られてて。京平さんがその写真持ち上げて、「佐藤もいいやつだったんだけどなあ…」とか言ってさ、いやいや京平さん、隣にいるじゃないですか、って言って横見たら、青木さんのお母さんが腹抱えて笑い転げてんの」

 

話の流れで、とか、私から話を振って、とかではない。ごく自然に、そういえばこの間さあ、と世間話の一つとして最近あったことの一つとして、佐藤はそう話した。あまりにも穏やかに話すものだから、一つの「笑い話」として振られたから、私は何も考えることなくただ普通に、それに笑顔を返した。

 

京平さんと御線香あげに行ったんですね。
うん。やっぱり沢山来ちゃうから基本は断ってるみたいなんだけど、京平さんと光留ちゃんなら良いですよってお母さんが言ってくれて
青木さんのお母さんに光留ちゃんって呼ばれてるんですか?
最近そう。ちなみにお父さんには盟友って呼ばれてる。
盟友?
いやいや盟友って、って思ったけど、まあお父さんがそう言うならそうなんだろうなって。
ああ、息子の盟友…。

 

本当に穏やかに、盟友の下りなんてむしろどこか嬉しそうに話すものだから、その時の顔が頭から離れなくなってしまった。この人、こんな顔で青木の話をするんだな。それにどこかほっとしている自分がいた。
その後、一つ伝えたかったことがあったのでそれを伝え、渡したかったものを渡し、他のお客さんが来たのでお暇させてもらった。結局いろいろ雑談をしてしまったなと、行く前に感じていた嫌な予感のことも忘れてのんびり帰路についた
しかし、その帰り道。
友人たちへライン。今度のハードヒットに諏訪魔が出るという話をし、何の気なしに佐藤が青木の実家に行った話もする。殆ど聞いたままに書いて送信したところで、自分で書いた文字をまじまじと見つめた。あれ?と思う。何だか頭がくらくらしてくる。突然鼻の奥がつんとして、勝手に涙が出てくる。

「青木さんの位牌」
「青木さんの骨」

一気に現実に引き戻されたみたいな気分だった。音が文字に変わっただけで、否応なしにそれを現実として理解してしまった。
もう骨なんだ、と。
彼のあの鍛え上げられた体はもうこの世のどこにもなくて、灰になってしまって、残っているのは彼の骨だけなんだ、と。
「眠ってるみたいだった」と言う佐藤の言葉によって作られた夢想みたいなものが、佐藤の一言で粉々に粉砕された瞬間だった。多分私は、棺の中に横たわって目を瞑っている姿を、明確にではないがぼんやりと思い描いていたのだと思う。あるいはそうであってほしいという願望を抱いていたのかもしれない。だけどそうじゃない。当たり前だ。日本では葬式をやったら火葬が一般的で、火葬になったら灰になるのは当たり前なんだから。祖父の骨だって祖母の骨だって、なんなら曾祖母の骨だって私は拾ったことがあるのに。
敢えて考えないようにしていたわけではない。それでもそこに頭が行き着かなかったのは、やはり、納得したくなかったからなのかもしれない。

帰宅してすぐに馬鹿みたいに泣いて、佐藤の声を思い出しては号泣し、頭が痛くなるまで泣き続けた。佐藤の馬鹿。貴方の口から「青木さんの骨」なんて聞きたくなかったよ。なんでそんなこと話したんだよ。何で。いや、本当に何でなんだ?わからない。他のファンにもしてんのかな。やめた方がいいと思う。特に青木のファンには絶対しない方がいい。やめとけって早めに言っておくべきなんだろうか…。
佐藤が何故あの話をしたのか、してもいいと思ったのか、わからないし訊ねる気もないけれど、佐藤も青木もどうしてこう、何でそれ私に言うんですか?みたいな話をするのだろう。私がそういう空気纏ってんのかな。こいつには何言ってもいいみたいな。知らんけど。貴方たち似た者同士だね、本当に。言われるこっちの身にもなってくれ。

でも同時に、いつかそういうこと――心の整理とか、そういうことが必要になるのだとしたら、私は、佐藤光留という人の言葉でそれを得られて良かったと思っている。8月11日の後楽園で、6月よりも涙が出なかったのは、私の中で一つの区切りができていたからなのかもしれない。今でもふとした瞬間に彼がこの世のどこにもいないことを思い出しては手が止まってしまうけれど、その度に意味がわからない、どうして、と思ってしまうけれど、それでも自分の中では多分、佐藤の言葉で何かが変わったのだと思う。精神はずたぼろになったけど。それまじでファンにする話じゃねえぞ!

 

私たちプロレスファンとプロレスラーは友人ではないし、ましてや家族でもない(そうである人もいるとは思うが)。私たちとプロレスラーの間には明確な越えられないラインが存在している(存在しているべきだと思う)。しかし同時に、私たちの多くが自分の感情や想いを彼らの存在そのものに重ねたり乗せたり、託したりしている。だからこそ逆に、その存在が突然失われた時、私たちの気持ちは宙ぶらりんになってしまうのだろう。
近しい友人や家族なら、一際深い悲しみに身を落としただろう。それでも佐藤や諏訪魔や和田のように、青木のことを想いながらも前を見て歩き出す決断を得られたかもしれない。けれど、青木という人をよく知らない私たちは、’青木篤志’をよく知らないまま’プロレスラー青木篤志に気持ちを託していた私たちは、そこまで踏み切れない。
月に何度か、後楽園ホールや地方の会場に行くと居て、凄い試合を見せてくれて、いつも何かしらにイライラしていて、辛辣なコメントを出して、売店で時々塩対応をしてくる、そんな人だった。毎日隣にいた人ではない。遠い人。でも、一方的な心的距離は近い人。
岩本に託しかけたジュニアの流れを取り返して、これから何を見せてくれるのだろう。佐藤との防衛戦はきっと凄い試合になるのだろうな。
この人は何故常にいらついているのだろう。何に怒っているのだろう。何を求めているのだろう。
いつか、そのベルトを持って古巣に殴りこんでくれないだろうか。今のこの人が、あの人やあの人と戦ったらどうなるのだろうか。鼓太郎とはこれから何かあるのだろうか…。
この気持ちを、ありとあらゆる感情を、他の人に託すことができたら少しは違うだろうか。でもこれは、’プロレスラー青木篤志’その人に託したものだった。他の人には託せないものだった。だから私たちはこの先もずっと、宙ぶらりんになった感情をどうしようもできないまま抱えて生きていくしかない。

つらいなあ。

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7月の話で、9月に書いて、そのまま今日まで放置してあった。不意に思い出したのでこれ以上書けないしとりあえず上げておく。

昨日が防衛期限でしたね。半年って短かったなあ。あっという間に過ぎちゃった。

お疲れ様でしたっていうべきなのかな。わかんないや。私の机の上のカレンダーはまだ9月だよ。来年になったらめくれるかな。

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誰もがみんな傷口に塩を塗りこまれて現実を受け入れられるわけじゃないから、やっぱり佐藤はもうちょっと考えて話をするべきだと思うよ。
佐藤がこれを読むはずがないのでここで言っても仕方がないんだけどね。だからこれは、ただの愚痴とメモ。

 

 

 

 

 

おわり