tobi_102’s diary

たまに何か書く

2018年世界最強タッグリーグとジョー・ドーリングについて

※全敬称略

 

 

 

12月11日、約一ヶ月に渡る世界最強タッグリーグ戦が終わった。平成最後の最強タッグ。平成最後のオリンピア

 

優勝はジョー・ドーリング&ディラン・ジェイムス組だった。外国人選手同士のタッグでの優勝はババ・レイディーボンダッドリーボーイズもといチーム3D以来13年ぶりだったのだという。2005年以来。2005年といえば諏訪魔がまだデビュー1年、現三冠王者の宮原はまだデビューすらしていない。

 

準優勝は諏訪魔石川修司組。昨年の覇者であり、2017年の東京スポーツプロレス大賞で最優秀タッグチームに選ばれていた。そして今年も、優勝は逃したものの最優秀タッグ受賞。小橋、三沢が1993年・1994年に果たした以来の2連覇とのこと。24年ぶり…約四半世紀ぶりの快挙。本当におめでとうございます。

 

そんな2チームが戦った優勝決定戦。私は少しだけ祈るような気持ちで試合開始を待っていた。石川の肩の調子もそうであるし、何よりジョーの腕の状態が心配でならなかった。

 

12月1日、全日本プロレス公式からジョーの欠場がアナウンスされた。胸の怪我で精査のため一時東京へ。その後、大阪大会から復帰することが発表された。その間約1週間。
傷病名は、ジョーのフェイスブックで本人が書いていたが公式が発表していないので控えておく。全治4週間だったそうだ(FBより)。それをジョーは、1週間で復帰して公式戦に戻ってきた。FBに上げていた写真では怪我の部位のかなり広範囲が青黒くなっていたが、リングに上がったジョーはテーピングをしておらず、青黒い部分も小さくなっていた。とは言っても全治4週間と診断された怪我を、1週間の休養で出てきたのだ。当然動きは精彩を欠く。序盤は良いとして、試合の途中から左腕を使わなくなっていることは見ている観客にも伝わっていた。
大阪大会、公式戦でvs野村&青柳組。京都大会、公式戦でvsゼウス&ボディガー組。野村・青柳には負けたもののゼウス・ボディガーとは真っ向からのパワー勝負で勝利。得点12点で同点トップ。残すは最終戦、後楽園で諏訪魔・石川組とのメインイベントのみ。

 

京都大会で、会場に入ると目の前の売店にジョーが立っていた。友人がTシャツを購入し、二人で腕は大丈夫かと尋ねる。お金を数えながらジョーはちらりとこちらを見て、大丈夫だと答えた。歯切れの悪い言い方だった。
売店でのジョーはリング上とは雰囲気が全然違っている。リング上でど迫力のパワフルなファイトを見せる彼は、売店では紳士的で優しく、そしてとてもチャーミングだ。話す時はいつもこちらの目を見てくれる。きっと、沢山のファンから伝えられる拙い英語や英語まじりの日本語、ストレートな日本語をきちんと理解しようとしてくれているのだろう。かく言う私も拙い英語でジョーに話しかけることがあるが、ジョーはいつでも「ちゃんと聞いてくれている」と感じられる対応だった。
だから、歯切れの悪い返答に不安を感じざるを得なかった。勿論親指をたてて大丈夫と答えられる怪我ではないことはわかっている。ただの観客一人にできることは声を張り上げて応援することだけだ。結果がどうなろうとも、どうか無事に完走してほしい。そう願って京都大会を終えた。

 

終戦当日。売店にいつも通りジョーがいた。初めて見るポートレートを売っていたので思わず購入。相手を威嚇する顔で、拳銃を構えている…。自宅で撮影したのだろうか。そう思いつつサインをもらい、お金を払う。五千円札を渡すとジョーは取り出した千円札の束をそのまま渡してこようとした。恐らく10枚はあるであろうそれに私が受け取るそぶりを見せると、ジョーは肩を竦めながら手を引っ込めた。日本語でごめんねと言って四千円を返してくる。いつものチャーミングなジョーで、なんだか嬉しくなる。
自分が撮った写真にもサインをもらって(そこでも可愛いことが起こったが割愛)、握手をするとジョーが「Thank you for the support」と言った。今まで何度かグッズを買っているが、そう言われたのは初めてだった。その時強く、彼に優勝してほしいなと思った。

 

ジョーが復帰してもうすぐ2年になる。

 

2016年のチャンピオンカーニバル。そこに、ジョーのエントリーが発表された。実に9ヶ月ぶりの全日本プロレスへの帰還で、多くのファンが心から喜びそれを楽しみにしていた。ジョー・ドーリングが、漸く全日本プロレスに帰ってくる。
そんな驚きと感動を、一気に別の驚きと落胆、不安に変えてしまったのがジョーの病気だった。悪性脳腫瘍。それがどのくらい危険な状態なのかということは、医療の知識がない素人でもわかることだった。どんなに強いプロレスラーでも内臓や神経は鍛えられない。ましてや脳なんて。復帰どころか、生死に関わるかもしれない事態に多くのファンが不安を感じたことだろう。海外ではジョーへの資金援助が始まっていた。全日本プロレスも募金を開始し、そして、大きな白いEvolutionのフラッグを会場に設置した。机の上に広げられたそれは、寄せ書き用のフラッグだった。幾つも置かれたペンにファンが集まっていく。次々にジョーへのメッセージが書き込まれていく。私も英語で、待っているよと小さく書き込んだ。大きなフラッグはあっという間に沢山のメッセージで一杯になった。皆、ジョー・ドーリングを待っている。

 

2016年11月27日、両国国技館大会でジョーは約1年4ヶ月ぶりに全日本プロレスのリングに上がった。相変わらず大きかったけれど、やはり少し痩せたように見えた。必ず帰ってくると力強いマイクで約束してくれたジョーは、それから約1ヶ月後、2017年1月2日の後楽園大会で無事に復帰を果たした。ファンからのメッセージで埋め尽くされたフラッグを掲げてリングに上がるジョーに沢山の紙テープが降り注ぐ。ありきたりな表現しかできないが、本当に感動した。私たちの大好きなジョー・ドーリングが、悪性脳腫瘍に打ち勝って、全日本プロレスのリングに戻ってきてくれた。
復帰戦は相変わらずのパワフルファイトでNEXTREAMを文字通り蹴散らし、見事勝利を収めてみせた。その後の試合も、まだ完全復活とは言えないながらも大きな体をフルに使って、まさしく全日本プロレスという試合を見せ続けてくれた。

 

2017年10月21日、復帰後初の三冠戦。相手は袂を分かったとはいえ盟友でもある諏訪魔だった。試合は、少しだけファンが見たかった試合と違うところもあったように思うが、最後はジョーがレボリューションボムを決めて新三冠王者に。リング上でじっとベルトを抱えている姿も、コーナーでベルトを高々と掲げて叫ぶ姿も、まだ鮮明に思い出せる。一時は険悪な雰囲気になった諏訪魔との握手も感動的なシーンだった。
そして、あのフラッグ。既にEvolutionではなかったにも拘わらず、ジョーはあのフラッグを持ってきて肩にかけていた。

「どの薬よりも、どの先生よりも、みんなの応援が力になった」

そう言っていたジョーは、三冠の次期挑戦者決定戦であった石川との試合にもフラッグを持ってきていた。そして三冠戦でも。そして、その後の防衛戦でも。大一番の試合で、ジョーは必ずあのフラッグと共にリングに上がってくれた。

 

2018年12月11日、世界最強タッグリーグ最終戦。入場してきたジョーの肩にはあのフラッグがかかっていた。事実上優勝決定戦となる試合だ。勝てば優勝。大一番だった。
序盤から派手なぶつかり合い、力比べ。4人の超大型選手が全力で自分たちの力を示しあう姿は圧巻としか言えなかった。コーナーへの串刺しラリアットで床が揺れ、リングがずれるのは今や全日本プロレスくらいではないだろうか。特に石川とディランのラリアットの打ち合いは、衝撃波でもでているのではないかと錯覚するくらいの勢いと力強さだった。ディランが参戦しだしてから度々見るようになった光景だが、お互いロープに走り、ラリアットでぶつかり、お互いふらつきながら自陣に戻っていく。たった一度のぶつかり合いで、観客が驚嘆と感嘆の声を上げるのだ。凄いとしか言いようがない。
ジョーは、既に早い時点から左腕を動かさなくなっていた。スタミナも続かないようで、大技を出してコーナーに戻ることを繰り返した。自然とディランがリング上にいる時間が長くなる。しかし彼はそれでも、不利という感じを受けさせなかった。石川の強烈なエルボーを受けても怯まず、物凄い逆水平を打ち返す。ディランの手が石川の胸に叩き付けられる度、物凄い音と観客の声が重なる。何発も何発も打って、それでも勢いが収まらない。

 

ディラン・ジェイムス。ジェイムス・ライディーン。27歳であの体躯、パワー、ポテンシャルと本当に凄い選手だ。けれど、過去にかなりまずいことをしてしまった。それで抵抗感のあるプロレスファンは少なくないと思う。私も、リアルタイムでは知らなかったが後から何があったのかを聞いたり読んだりして何とも言えない気持ちを持っている。選手としては素晴らしいが…。という気持ち。素直に応援できない引っかかりが、ないといえば嘘になる。

 

それでも、この日のMVPは間違いなくディランだった。動けないジョーの分まで攻める、受ける。とにかく受ける。暴走大巨人二人の怒涛の攻撃を受けて受けて受けまくる。あの活躍は、若くてスタミナがあるから、という言葉で終わらせるべきではないだろう。本調子でないパートナーの分まで戦いぬく姿は、片方が負傷しているタッグとしてあるべき姿を体現しているようだった。諏訪魔が試合後、石川に負担をかけすぎたと言っていたが確かにそうだったかもしれない。負傷している石川ではなく、(首を痛めているのはあっただろうが)諏訪魔が中心となってディランと戦うべきだった。そこが、暴走大巨人の敗因の一つだったのかもしれない。
ラリアット、逆水平、エルボードロップ、ブレーンバスター、チョークスラム。ディランがリング上ですることは常にそれくらいだ。それでも、その全てが規格外で破壊的な威力があり、一発で客が唸り、試合がひっくり返る。試合がひっくり返るということは、それまで受け続けているということだ。幾度となくディランはそれを魅せ、会場のボルテージを上げていった。

 

試合が佳境に入り、二対一の構図が多くなる。諏訪魔が石川を助けるも逆に孤立し、ディランのラリアット諏訪魔を黙らせる。そこからディランが諏訪魔を持ち上げてジョーに抱え上げさせた時、私は思わず叫びそうになった。ジョーはもう、左腕がきかなくて自分で持ち上げられないのだ。それでもジョーは、そのまま諏訪魔を持ち上げてレボリューションボムで叩きつけた。あの豪快な技を見たのは随分と久しぶりで、調べてみると7月29日の大阪大会以来。約4ヶ月半ぶりの完璧なレボリューションボムだった。
諏訪魔が戦線離脱し、粘る石川をジョーがフライングボディアタックで押し潰す。ディランのラリアットが石川を吹き飛ばす。2カウント。地鳴りがする。観客が足を踏み鳴らしているのだ。ディランが吼える。チョークスラムの体勢から、石川をリングに叩きつける。3カウントが数えられ、ゴングが鳴った瞬間後楽園が爆発した。18分52秒。まさしく熱闘だった。

 

リングに運ばれてきた二つの優勝カップは、ロビーで飾られているのを見た時は大きく感じられたのに優勝チームの前に置かれると小さく見えて不思議だった。ディランが片方を両手で抱えて嬉しそうに笑い、ジョーがもう片方を右手だけで頭上に高々と掲げて吼える。プロレス界全体を見回しても圧倒的に大きい選手が集まる全日本プロレスで、一際大きい二人がリングの真ん中で優勝カップを掲げている姿は壮観としか言いようがなかった。

 

ジョーがマイクを取り、「ありがとう」と日本語で感謝を伝える。「Happy New Year!」と叫び、ディランにマイクを渡す。ディランも「ありがとうございます」と流暢な日本語で言うと「Happy New Year! And Merry Christmas!」と叫んだ。
これはこちらの記事

headlines.yahoo.co.jp

で知ったことだが、28年前、最強タッグで優勝したスティーブ・ウィリアムスが「Merry Christmas!」と叫んだのだという。今年、多くのレスラーが亡くなり多くの追悼式があったが、その度にジョーが亡くなったレスラーの技をその日の試合で使っていたことを思うと、きっと意識していたのだろう。本当に、優しい人だなと思う。

 

THE BOMBERの曲が流れる中、ジョーはあのフラッグを広げた。エプロンに立って、多くの人にメッセージが見えるようロープにかける。そうして微笑みを浮かべ、片手を上げる姿は言葉にならない美しさがあった。ありがとう、と言っているように見えたのは多分、私の思い違いではないだろう。

 

過酷なリーグ戦、最後に踏ん張ったのはジョー、ディラン組だった。怪我を押して戦線復帰したジョーとそれを支えたディラン。本当に素晴らしいチームだったと思う。勿論参戦した全てのチーム、全ての選手が素晴らしかった。無事とは言えずとも、全員が完走したこと、完走してくれたことに感謝の意を表したい。素晴らしい試合の数々をありがとう。沢山の思い出を、熱い気持ちを、感動を与えてくれてありがとう。

 

2019年1月2日。新年早々に世界タッグのタイトルマッチが決定した。暴走大巨人vsTHE BOMBER。きっとその頃には石川もジョーもコンディションが良くなっていることだろう(そう願っている)。あの熱闘をもう一度、否、もっと凄いスケールで見ることができるのかと思うと今から楽しみでならない。

 

きっとジョーは、このタイトルマッチにもあのフラッグを持ってきてくれるだろう。それを掲げて私たちに見せてくれる筈だ。

 

あのフラッグを持ってリングに上がるような大一番が彼に幾度も訪れることを、私は心から嬉しく思う。

 

Thank you Joe for showing your indomitable spirit. You are a true superman.

f:id:tobi_102:20181215192420j:plain

 

 

 

2018.12.15