tobi_102’s diary

たまに何か書く

Pervert and SDF

自分のためのただの愚痴とメモ
多分結構かなりセンシティブな内容なので読まないほうがいいです

特に青木のファンの人。

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※全敬称略

佐藤光留という人はとにかくよく喋る。

パイルドライバーにハードヒットのチケットを買いにいく、というただそれだけのイベントで今までどれくらい謎の情報を与えられたかわからない。ハードヒットの決定済未発表カードが主だが、そこから始まって関係ない雑談が延々続くことも少なくない。そもそもハードヒットのカードだって「決まってるカードはありますか?」とこちらから聞いたことは一度もない。店に入って、チケット買いにきました、と言うとそれだけで彼は次々にカードを教えてくれる。時には目の前でオファーの電話をかけることもある。何も言ってないのにな、と思いつつ、まあ、決まった経緯だとか実は存在する因縁だとか、面白いのでありがたく拝聴させていただく。

 

「今回の青木さんのカードはねぇ」
ここ最近の、最初の決まり文句だった。青木が海外遠征に行っている時は「青木さん今回はでないよ!」と開口一番言われた。
青木ファンだと言ったことは(多分)ない。青木のTシャツを着て佐藤と接触したことは、多分数回だけ。むしろ佐藤のTシャツを着て接触した回数の方が圧倒的に多い。それなのに私は青木ファンだと思われていたのだろうか(勿論ファンです)。ただまあ彼は自分のファンのことを変態と呼ぶことがあり、私も変態扱いされたことがあるので自分のファンであるという認識はあるのだろう。変態自衛隊のファン、という認識なんだろうか。正しくその通りではある。私の全日の入り口はエボリューションと変態自衛隊だった。今はちょっと三冠王者にホイホイされているけれど、彼らが私にとって特別な立ち位置であることは未だ変わりない。

 

だから6月、佐藤と接触したくなかった。

 

ぼんやりと嫌な予感がしていた。何がと言われると答えづらいけれど、何というか、嫌な予感がしていた。佐藤と接触した人の、「いつもと変わらなくて安心した」という言葉を見た。そうなのだろう。彼が売店で湿っぽくなることはない。何故なら彼はプロレスラーだから。興行の売店での彼は、プロレスラーだ。表現者。プロとして、「表現しない」ことは許されない存在。誰に許されないのかって、間違いなく彼自身にだ。
彼が自分自身に「表現しない」ことを許さなかったから、6/9のハードヒットは予定通り行われ、彼はあの時と全く同じ言い回しで関根に言葉をかけたのだと思う。沈黙して喪に服すという選択。それを彼は選ばず、ハードヒットを主催し、6/18のメイン後、思いの丈を吐き出すように泣きながら叫んだ。
あの言葉も気持ちも全部、例え彼が外に出さずにしまっていたとしても、絶対に誰も彼を責めはしなかっただろう。自分のプロレスの半分を失ったという彼がその大きすぎる悲しみを「表現しない」選択をしたとしても、一体誰が責められるというのだろうか。だから、本当はしなくても良かったのだ。しかし彼は「表現する」選択をした。それはひとえに、彼が「プロレスラーだから」、という以外の答えが見つからない。「誰かに話したかったから」という答えはこの場合は当てはまらないだろう。もしもそうしたければ、親しい人との間のみで言葉を交わせばいいのだから。
しかし彼が選択したのは、「大勢のファンの前で自分の気持ちを表現する」、という行動。それには、「プロレスラーだから」という答え以外はどう考えても当てはまらない。

 

だから売店で彼が湿っぽくなることは多分、ないと思う。でもそれなら、パイルドライバーではどうなのか。

 

パイルドライバーにいる佐藤光留は、アパレルショップ店員だが、勿論プロレスラーだ。ただ、そこに大勢のファンはいない。彼の「表現」を目の当たりにするファンは、例えば私しかいなければ数量的に一人だけ。それでもあえて何かしらを「表現する」必要はあるのだろうか?私には佐藤の美学や矜持はわからないので何とも言えないが、あの狭い店内は、「言う必要のないことを敢えて言う」場ではないと思う。特に、その内容がセンシティブであればあるほどそうだろう。

それなのになんとなく嫌な予感が拭えなかったのは、やはりどう考えても佐藤がとにかくよく喋る人だと言うことと、毎回最初に青木の名前を口にしていたからだろう。狭い店内で、センシティブな内容の話を敢えてする必要がない場所で、佐藤の口から青木の名前を聞くのはあまり気が進まなかった。じゃあなんで敢えて佐藤が店番の日を選んで行ったんだと思われるかもしれないけれど、どうしても本人に直接渡したいものがあったからで、それは完全に自己満足で気持ちの押し付けだったので、つまり何が起こっても佐藤が店番の日をわざわざ選択した自分が悪いので、本当はこんな話をだらだらと綴るのはお門違いなのだ。

 

ここから先は、青木のファンは読まない方がいいかもしれない。

 

パイルドライバーに着くと店内は誰もいなかった。数分前にツイートしていた主は不在で、店の前に看板が立っている。あまりの入りづらさに暫くそこで佇んでいると、少ししてからダンボールを抱えた店番が向こうからのっしのっしと歩いてきた。Jr.タッグリーグ開幕戦から売り出す新作Tシャツを引き取りにいっていたらしい。無用心すぎませんかと言うと、「自慢じゃないけどうち空き巣に入られたことが一回もないんだよね」と言ってにやにや笑っている。
いつも通りチケットを買うと、案の定決定済カードが佐藤の口からどんどん飛び出してきた。第一声で、「今回諏訪魔さんでるよ」だ。思わず「は!?」と叫んだことは許してほしい。いやだって普通にびっくりするでしょうそんなの。でも、どういう主旨のカードなのか聞いて納得、続いて聞いたルールに頭が混乱する。わかったことは、青木の追悼のために多くの選手が集まったということ。諏訪魔だけやけに大きいということ。覚えているのは、「今の時代SNSで気持ちを呟くことができるけど、僕らはプロレスラーとか格闘家だから。やっぱりそういう気持ちを試合として見せたいなと思ってね」と佐藤が言ったこと。(彼が「表現する」ことに関して、私の認識は間違っていなかったらしい。)

私は、意外と普通に佐藤の口から青木の名前を聞いていた。特にナーバスになることもなく、いつもの雑談と同じように聞いていた。だからだったのだろうか。普通すぎる反応だったから、話そうと思ったのか。わからない。改めて考えても全然わからない。

 

「京平さんとね、青木さんの実家に御線香をあげにいったんだけどさ。仏壇があるじゃん。線香があって青木さんの位牌があって、青木さんの骨があって、その横に僕と青木さんのタッグの写真が飾られてて。京平さんがその写真持ち上げて、「佐藤もいいやつだったんだけどなあ…」とか言ってさ、いやいや京平さん、隣にいるじゃないですか、って言って横見たら、青木さんのお母さんが腹抱えて笑い転げてんの」

 

話の流れで、とか、私から話を振って、とかではない。ごく自然に、そういえばこの間さあ、と世間話の一つとして最近あったことの一つとして、佐藤はそう話した。あまりにも穏やかに話すものだから、一つの「笑い話」として振られたから、私は何も考えることなくただ普通に、それに笑顔を返した。

 

京平さんと御線香あげに行ったんですね。
うん。やっぱり沢山来ちゃうから基本は断ってるみたいなんだけど、京平さんと光留ちゃんなら良いですよってお母さんが言ってくれて
青木さんのお母さんに光留ちゃんって呼ばれてるんですか?
最近そう。ちなみにお父さんには盟友って呼ばれてる。
盟友?
いやいや盟友って、って思ったけど、まあお父さんがそう言うならそうなんだろうなって。
ああ、息子の盟友…。

 

本当に穏やかに、盟友の下りなんてむしろどこか嬉しそうに話すものだから、その時の顔が頭から離れなくなってしまった。この人、こんな顔で青木の話をするんだな。それにどこかほっとしている自分がいた。
その後、一つ伝えたかったことがあったのでそれを伝え、渡したかったものを渡し、他のお客さんが来たのでお暇させてもらった。結局いろいろ雑談をしてしまったなと、行く前に感じていた嫌な予感のことも忘れてのんびり帰路についた
しかし、その帰り道。
友人たちへライン。今度のハードヒットに諏訪魔が出るという話をし、何の気なしに佐藤が青木の実家に行った話もする。殆ど聞いたままに書いて送信したところで、自分で書いた文字をまじまじと見つめた。あれ?と思う。何だか頭がくらくらしてくる。突然鼻の奥がつんとして、勝手に涙が出てくる。

「青木さんの位牌」
「青木さんの骨」

一気に現実に引き戻されたみたいな気分だった。音が文字に変わっただけで、否応なしにそれを現実として理解してしまった。
もう骨なんだ、と。
彼のあの鍛え上げられた体はもうこの世のどこにもなくて、灰になってしまって、残っているのは彼の骨だけなんだ、と。
「眠ってるみたいだった」と言う佐藤の言葉によって作られた夢想みたいなものが、佐藤の一言で粉々に粉砕された瞬間だった。多分私は、棺の中に横たわって目を瞑っている姿を、明確にではないがぼんやりと思い描いていたのだと思う。あるいはそうであってほしいという願望を抱いていたのかもしれない。だけどそうじゃない。当たり前だ。日本では葬式をやったら火葬が一般的で、火葬になったら灰になるのは当たり前なんだから。祖父の骨だって祖母の骨だって、なんなら曾祖母の骨だって私は拾ったことがあるのに。
敢えて考えないようにしていたわけではない。それでもそこに頭が行き着かなかったのは、やはり、納得したくなかったからなのかもしれない。

帰宅してすぐに馬鹿みたいに泣いて、佐藤の声を思い出しては号泣し、頭が痛くなるまで泣き続けた。佐藤の馬鹿。貴方の口から「青木さんの骨」なんて聞きたくなかったよ。なんでそんなこと話したんだよ。何で。いや、本当に何でなんだ?わからない。他のファンにもしてんのかな。やめた方がいいと思う。特に青木のファンには絶対しない方がいい。やめとけって早めに言っておくべきなんだろうか…。
佐藤が何故あの話をしたのか、してもいいと思ったのか、わからないし訊ねる気もないけれど、佐藤も青木もどうしてこう、何でそれ私に言うんですか?みたいな話をするのだろう。私がそういう空気纏ってんのかな。こいつには何言ってもいいみたいな。知らんけど。貴方たち似た者同士だね、本当に。言われるこっちの身にもなってくれ。

でも同時に、いつかそういうこと――心の整理とか、そういうことが必要になるのだとしたら、私は、佐藤光留という人の言葉でそれを得られて良かったと思っている。8月11日の後楽園で、6月よりも涙が出なかったのは、私の中で一つの区切りができていたからなのかもしれない。今でもふとした瞬間に彼がこの世のどこにもいないことを思い出しては手が止まってしまうけれど、その度に意味がわからない、どうして、と思ってしまうけれど、それでも自分の中では多分、佐藤の言葉で何かが変わったのだと思う。精神はずたぼろになったけど。それまじでファンにする話じゃねえぞ!

 

私たちプロレスファンとプロレスラーは友人ではないし、ましてや家族でもない(そうである人もいるとは思うが)。私たちとプロレスラーの間には明確な越えられないラインが存在している(存在しているべきだと思う)。しかし同時に、私たちの多くが自分の感情や想いを彼らの存在そのものに重ねたり乗せたり、託したりしている。だからこそ逆に、その存在が突然失われた時、私たちの気持ちは宙ぶらりんになってしまうのだろう。
近しい友人や家族なら、一際深い悲しみに身を落としただろう。それでも佐藤や諏訪魔や和田のように、青木のことを想いながらも前を見て歩き出す決断を得られたかもしれない。けれど、青木という人をよく知らない私たちは、’青木篤志’をよく知らないまま’プロレスラー青木篤志に気持ちを託していた私たちは、そこまで踏み切れない。
月に何度か、後楽園ホールや地方の会場に行くと居て、凄い試合を見せてくれて、いつも何かしらにイライラしていて、辛辣なコメントを出して、売店で時々塩対応をしてくる、そんな人だった。毎日隣にいた人ではない。遠い人。でも、一方的な心的距離は近い人。
岩本に託しかけたジュニアの流れを取り返して、これから何を見せてくれるのだろう。佐藤との防衛戦はきっと凄い試合になるのだろうな。
この人は何故常にいらついているのだろう。何に怒っているのだろう。何を求めているのだろう。
いつか、そのベルトを持って古巣に殴りこんでくれないだろうか。今のこの人が、あの人やあの人と戦ったらどうなるのだろうか。鼓太郎とはこれから何かあるのだろうか…。
この気持ちを、ありとあらゆる感情を、他の人に託すことができたら少しは違うだろうか。でもこれは、’プロレスラー青木篤志’その人に託したものだった。他の人には託せないものだった。だから私たちはこの先もずっと、宙ぶらりんになった感情をどうしようもできないまま抱えて生きていくしかない。

つらいなあ。

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7月の話で、9月に書いて、そのまま今日まで放置してあった。不意に思い出したのでこれ以上書けないしとりあえず上げておく。

昨日が防衛期限でしたね。半年って短かったなあ。あっという間に過ぎちゃった。

お疲れ様でしたっていうべきなのかな。わかんないや。私の机の上のカレンダーはまだ9月だよ。来年になったらめくれるかな。

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誰もがみんな傷口に塩を塗りこまれて現実を受け入れられるわけじゃないから、やっぱり佐藤はもうちょっと考えて話をするべきだと思うよ。
佐藤がこれを読むはずがないのでここで言っても仕方がないんだけどね。だからこれは、ただの愚痴とメモ。

 

 

 

 

 

おわり

青き閃光

 

 

記憶は風化する。だから思い出せる限りのことを書いておく。

 

売店でとにかく目を合わせない人だった。笑うと顔の半分だけ上がってくしゃっとした笑顔になる。予想より声が高くてびっくりする。変なところで喋り方が丁寧になったり突然タメ口になったりする。喋り方が体育会系のノリ。

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2016.8.27 名古屋

海外で売って全日の売店に出していないポートレートを愚連隊興行で出していたので購入。サインを貰いにいったらこっちを見るなり「何で買ったんすかそんなの。買わない方がいいのに」と顔を背けて笑う。
どこかの地方でマスクのキーホルダーを購入。「これ買うと明日起きたら顔が野村になってますよ」と明後日の方向を見ながら嘯く。野村選手、かわいいからいいじゃないですか。言うと、「えー俺は嫌だ」なんて言って口の端を持ち上げる。
リング上で躍り狂っているエース達を売店から眺めながら爆笑している姿に嬉しくなる。はーとんの人形をコーナーでずっと大切そうに持っている姿につい人形を買ってしまう。

SUSHI選手の所属ラストの時、サイン会をしているSUSHI選手の後ろに突然現れてにやにやしながら「SUSHIさん今までありがとうございました!」と声をかける。かと思えばハードヒットで苦戦するSUSHI選手にずっと声かけし続ける。

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2017.1.28 鳩山/友人撮影

写真を撮る時自分一人だと嫌そうに顔をくしゃくしゃにする。タイトルマッチやリーグ戦の前に頑張って下さいと声をかけると「余裕っすよ」と返ってくる。イベントで一人だけお酒を飲んで顔を真っ赤にして、いつも以上に饒舌でご機嫌で、ああこの人、喋るの好きなんだなあ、と。思う。

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2018.9.23 神戸シーバスイベント

 

試合のことは、写真を見返せば、動画を見れば、コメントを読めばいくらでも思い出せる。でも、こういうことって多分どんどん忘れていく。だから書き記す。

 

「復帰したから、ディック東郷選手と戦いたい」
東郷選手のイベントで思わず東郷選手にそれを伝えてしまった。今度の7月に実現する筈だった。もう、一生叶わなくなってしまった。
「ライバルはつくらないようにしている」
そうは言ってもきっと佐藤光留が好敵手であることは間違いないし、運命の相手が鈴木鼓太郎であることは間違いない。本人はきっと嫌がるけど、誰がどう考えてもそうだろう。

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2017.8.4 新木場

北本と有明のシングルどちらも見て、まず最初に出た感想は「ノアの試合だ」だった。全日本プロレスのリングで繰り広げられるプロレスリング・ノアの試合。馬場プロレスの世界に現れた三沢プロレス。北本の試合は激情の試合だった。有明の試合は鎮魂歌だった。プロレスリング・ノアで生まれてプロレスリング・ノアで育った彼等が、フリーランス全日本プロレス所属として生まれ育った場所にさよならを言う姿はどこか物悲しさがあった。でもそういうのって全部巡り合わせで、今は悲しくてもいつか何かに繋がるんじゃないかって思えるからプロレスは面白い。

 

でももう、どこにも繋がらなくなってしまった。

 

多分この先ずっと、永遠に忘れられないことがある。2018年9月12日の新木場大会。
9月1日の丸藤正道20周年記念大会でのvs杉浦・原田が良い試合だったことを伝えたくて売店で声をかける。

 

この間の両国の試合、凄く面白かったです。
ありがとうございます、僕何もしてないですけど。
もっと青木さんと杉浦さんがやりあうの見たかったです。
まあ、うちらが喧嘩売る必要はないしね。
でもファンとしてはもっと2人の絡みがみたいって思ってましたよ。
僕の心は原田のせいで、ああ…俺はいいやってなっちゃったんで。
あー…まあでも、また機会があったら見たいです。
そうですね、鼓太郎が出てる限りは行きません。

 

あんなやつ全日本にいらない。

 

…何度思い出しても、売店でファンに言う言葉じゃない、と思う。でも、こういうところがあの人があの人である所以なのだろう。鈴木鼓太郎という人への強い気持ちと、全日本プロレスへの強い愛と誇りを持っているからこそ出てくる言葉なのだろう。毒を吐く、と言うけれど、内側にあるのは毒というよりも苛烈さだったんじゃないだろうか。それは強さとも言う。強いから言える言葉だ。本当に強い人だった。羨ましいくらいに。

 

どうして私にあんなことを言ったのか。確かめたくてもこれはもう、ただの思い出の一つ以上のものに成り得ない。

 

「◯◯さんが昨夜ご自宅でお亡くなりになりまして、主治医の方にお話をお伺いしたいのですが」
電話口で、警察の人にそう言われたことがある。その前々日、受付でいつも通り挨拶を交わした穏やかで可愛いおばあちゃんだった。今日は通院日。もしかしたらひょっこり現れて、遅れちゃったわ、なんて笑った顔を見せてくれるかもしれない。そんなことをぼんやりと思いながらロッカーの荷物を片付ける。

昨日会った人が今日いなくなる。昨日まで生きていた人の荷物を片付ける。ご家族が取りに来るまで、もう誰も着ることのない服が事務室の奥に置いてある。そんなことが何度もあった。その度に何度も、不思議だな、と思った。昨日までいたのに、今はもういない。ほとんど毎日顔を合わせていたのに、もう今日から一生、世界中探しても会うことはない。

 

部屋を見回してみて、不思議だな、と思う。サイン入りのTシャツ。タオル。カレンダー。キーホルダー。金平糖が入っていた箱。キャンディが入っていた缶。いつもサインを小さく書くから、「大きくお願いします!」とお願いしたことを思い出す。不思議だ。こんなにいろんな思い出があるのに、あの人はもういない。もう一生、世界中探しても会うことはない。試合を見ることはない。言葉を聞くことはない。あの人の存在の、これからがどこにもない。

 

ご冥福をお祈りします、と言いたくない。TLに流れてくるその言葉とあの人の写真がどうしても結び付かなくて、見るたびに「この人は誰なんだろう」と思ってしまう。
10カウントゴングなんて聞きたくない。あと30年後くらいに、あの人がリングの真ん中に立っていて打ち鳴らされる10カウントゴングを聞く筈だったのに。
言いたくない聞きたくない、いないことを認めたくない。認めなくても現実が変わらないことはわかっている。今これを書きながらずっと泣いているから、頭ではわかっているんだと思う。現実味がなかったら涙すら出ないと思うから。今は涙しか出てこない。頭ではわかってる。でも、理解するのと納得するのは違う。

 

なんて、こんな言葉を並べたって結局は全部自分勝手で自分のためのわがままだ。こんなのは自分を守りたいだけだ。自分の弱さに甘えているだけだ。私はみっともなくて惨めな人間だ。だから強い人に憧れるんだ。だから、あの人を見ていたかったんだ。

 

プロレスの試合の、グラウンド技術を面白いと思ったのはあの人の試合を見てからだった。初めて全日を見に行った時、あの人はヘビー級の中にジュニア一人だった。小さいのに凄いな。ぼこぼこにやられてるけど立ち上がっていく。凄いな。ヘビー級と戦うジュニアの試合って面白いな。いろんなきっかけを作ってくれたのはあの人だった。かっこいいな。もっと試合が見たいな。コメントが辛辣でドキドキする。この人のことをもっと知りたいな…。

 

そういうの、何一つ伝えたことがない。馬鹿だ。いつかなんてないのに。あの人が佐藤光留の挑戦をのらりくらりとかわしていた時私は、いつかなんてないのにどうして受けてくれないんだ、と怒っていたのに、自分がそれをわかっていなかった。いつかなんてないんだよ。自分の未来すらわからないのに、自分以外の未来なんてもっとわからない。
後悔したくないから行動するなんて本当に自分勝手な理由だと思う。対人だとますますそう感じる。でも、人生は今一度きりしかないのだ。私だって明日があるかなんてわからない。それでも今はある。今、気持ちを伝えることができる口がある。なのにあの人にはもう、今すらない。もう何も伝えることができない。だからこれはただの独り言だ。

 

私はこれからも全日本プロレスを見に行くし、ハードヒットを見に行くし、佐藤光留の試合も鈴木鼓太郎の試合も見に行くし、あの人と関わりのあった多くの選手の試合を見に行くだろう。その度にあの人の存在を感じて、同時にどうしようもない喪失感に苛まれるのだろう。
でもきっとそれは、どこにも何も感じられないよりよっぽど幸せなことだ。あの人が残したものを、紡いだものを、あの人抜きに紐解いていくことは不可能なことかもしれない。それでも考えることはやめたくないし、目を背けることはしたくない。あの人のことを考えて考えて怒ったり笑ったりしていた日々を無にはしたくない。肯定的なことも否定的なことも何もかも全部、あの人のことを考えていたという事実があの人の存在を裏付ける。

 

あの人の居場所はリングの上だった。だから私は、これからもリングの上にあの人を見続ける。あの人の試合が見たい。でもそれが無理ならせめて、あの人の存在の証を見続けたい。

 

ここまで書いて、ふと、「どうしてこんなものを書いているんだろう?今度試合を見に行くのに」と思ってしまった。勝手に殺すなって怒られちゃう。そう思って手が止まって、またTLを見て現実を思い出す。割りきるなんてまだ無理だ。こんなことで泣きたくない。こんな文章書きたくない。あの人の試合を見て感動して泣きたい。あの人の考えを、言葉を、行動を紐解いて、未来に繋がる文章が書きたい。

 

言いたいことは沢山あるけど言葉にすることが難しい。認めても認めなくても苦しいけど、自分が楽になる方に逃げるべきじゃないのはわかってる。もうやめます。もう疲れた。泣いても現実は変わらないし、自分の弱さに嫌気がさすだけだ。早く強くなりたいよ。なるために、これを書き終わらなくちゃいけない。

 

好きでした。大好きでした。貴方の試合が全て好きでした。強い言葉が好きでした。文句を言いたいところも沢山沢山、沢山あったけど、言ったって歯牙にもかけられないのだろうと思わせる強さが好きでした。鋭い視線が、気迫のある咆哮が、歯を食い縛る顔が、全てが好きでした。プロレスラー・青木篤志が大好きでした。

 

天国でもプロレスしたり山登りしたりキャンプしたりツーリング…は暫く控えて欲しいけど、自由に過ごしてください。やりたいことを全部やって、どうか楽しくお過ごしください。いつかまた、絶対に貴方の試合を見に行きます。現世では叶わなかったけど、「俺が次の渕正信になる」って言っていたからにはグーとかパーでレフェリーと揉めたり、ドロップキックをすかされたりボディスラムで腰を痛めたりするくらいまでプロレスをやり続けてください。

その頃にはきっと、観客席に私も座れるだろうから。

 

素晴らしい試合の数々をありがとうございました。貴方のプロレスを見られて幸せでした。貴方が残したものを通して貴方のことをいつまでも追いかけ続けます。

さよなら、またね。ありがとう。

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2019.5.20 後楽園

それと、最後に一つだけ。

いつかダイナマイトキッドと試合をする時は、最前列のチケットを買うので絶対に教えてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.6.5 故  青木篤志選手へ捧ぐ

 

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2019.6.9 追記

プロレスリング・ノア後楽園大会/三沢さん10周忌を観に行ってきました。

 

 

 

隣でこのやりとりを見ていました。潮崎選手の笑顔、本当に朗らかで何の翳りもなくて眩しかった。彼等が喧嘩別れであったことを思うと本当に、言葉にできない気持ちになりました。

 

そして、最後に言ってくれた「そうですね、かっこつけすぎずに」という言葉。約束。

 

ああ、存在が未来に繋がった。そう気付いた瞬間また涙が止まらなくなってしまった。

 

潮崎選手が これから先、してくれるであろう飾らない言葉でのマイクは、あの人の存在の証になる。あの人が言って、友人が繋いで潮崎に届いて、未来に繋がった。

ノアのリングに残されたあの人の存在の証。小さなことかもしれない。勝手な解釈かもしれない。けれど、見つけられて良かった。嬉しかった。

これから少しずつ、こうやって見つけて大事にしていけばいいんだな。少しだけ、救われました。潮崎選手、そして大好きな友人。本当にありがとう。本当に。

 

 

 

 

 

王道のエースと方舟の星

全く真面目な文章ではありません。
根暗オタクのただの呻き。死ぬほど読みにくい。
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※敬称略

 

 

どうしても悔しい気持ちが押さえきれないので纏めて書き記しておく。もう悔しく思う必要はないのだとわかっているけどやっぱり悔しい。悔しいと思ったことを忘れたくない。

 

4月29日、チャンピオンカーニバルで推しが優勝した。三冠王者としての優勝は18年ぶり。凄い。本当に凄い。

 

彼を見ていると馬鹿の一つ覚えのように「凄い」という感想しか出てこない。凄い。凄すぎて怖い。正直いって、私は彼が怖い。私が彼を見始めて3年たったが、3年間彼はいつなんどきもずっと"プロレスラー宮原健斗"だった。そこに一個人である"宮原健斗"はいなかった。3年間、ずっとだ。ここまで個を殺して全のために役割に徹することって、普通できるか?鉄の意思すぎる。だから私は彼をずっと「人間じゃない」と言い表してきた。よく考えなくても普通に失礼だな。すみませんでした。

それでも、その3年間はあの決勝で全て報われたのだと思う。宮原はジェイクとシングルをする度にライバルという言葉を使ってきたが(2017/04/16、2018/07/01)、今までのそれは彼なりのジェイクへの期待を込めた言葉だったように思う。つまり、まだ実を伴ってはいなかった。しかし今回は、違った。違ったのだと思いたい。真意なんてわからない。けれど、違ったのだと、真の意味でライバルという言葉を出したのだと、私は信じたい。

 

あの日、ついに宮原健斗三沢光晴になった。ジェイク・リーという川田利明に漸く出会えて、野村直矢という小橋建太に猛追されて。(ここで青柳優馬田上明と言うべきではないだろう。青柳は秋山の系譜なので。田上さんの席、いつか誰か現れるだろうか。)
死闘続きだったチャンピオンカーニバルが終わってそこに広がっていた風景は、まさに90年代の全日本プロレスだった。勿論私はその頃を知らない。知識として持ち得ているだけだ。それでも、今の全日本プロレスは…かつて馬場さんが理想とした形になっているのではないだろうか?そんなことをぼんやりと考える。

 

で、本筋はそっちじゃない。
悔しい件は、その次の日。4月30日プロレスリング・ノア横浜ラジアントホール

 

その日はGTLの決勝に進むチームが決まる日だった。前日からずっと泣きっぱなしで頭もほどほどにおかしくなり開場時間と試合開始時間を勘違いして死にかけたりしつつ嗚呼今日はのんびり観戦しよう…という気持ちで興行スタート。
そんな気持ちを初手でぶっ壊されたバックブリーカーズの解散。予期はしていたけど普通につらい。ノアJr.の中で一番好きなタッグだった。残念ながらタッグというものはいつか解散するものです。わかってるよそんなことは。
更にその日はもう一組タッグが解散。それがまさかの海王。組んで1ヶ月経ったっけ?という感じ。パンフの表紙にもなって早々に週プロの取材も受けて、これから売り出そうとしていたのでは…と思うとちょっとびっくり。ちょっとだけ。何故ちょっとだったのかって、そういうタッグほど衝撃的な解散をするって世界最大の団体を見て学んできたので。私はShieldのこと、まだ恨んでいるぞ!

 

「俺はお前の噛ませ犬にはならねぇんだよ」
その日一番、いやDAが勝った瞬間が一番だったかもしれないので二番目くらいに客席が沸いた瞬間だった。拳王のマイクはお客さんの心を掴むのが本当にうまい。でも多分それだけじゃなくて、拳王と清宮が組んでいることに少なからず違和感を覚えている人が多かったからあんなに沸いたんじゃないだろうか。知らんけど。

 

少なくとも私は、彼らが組んだ時に「ああオカダカズチカと外道的な…」と一瞬思ってしまった。良い意味でも悪い意味でもなく、単純な事実として。

 

私は、清宮海斗という選手を未だにどう言葉にすればいいのか考えあぐねている。良い青年だと思う。一度だけイベントで接触したことがあるが、とても好青年だった。細かいところに気がついて、自分から話を広げられるタイプ。一言で言うと「溌剌としていて人当たりもいい、良い子だな」という感じ。
でもそんなのは印象の内の本当に一部分だけだ。レスラーに抱く印象の9割は試合。試合内容。あとコメント。試合を見て言葉を聞くことでどういうレスラーなのか、どういう人なのかを自分の中で形作り、噛み砕き、次の試合を見る時にそれを念頭に置いて見る。
清宮の試合は、チャンピオンとして見るにはまだまだ足りないなと感じてしまう。ど素人がこんなことを言うべきではないことはわかっているが、他にうまい説明が思い付かない。一人の観客として、理想とするチャンピオンの試合には程遠い、と言うべきか。
週プロNo.2011の拳王のコラムに全て書いてあったが、言ってしまえば自分で試合を組み立てられない。戦っている相手の試合になってしまうということ。でもそんなのは当たり前なのだ。だって彼はまだキャリア3年、22歳の若者なのだから。そんな彼がキャリア18年48歳の杉浦やキャリア20年39歳の丸藤と戦って、試合を支配することなんて普通に考えてできる筈がない。
それでも彼はやらなくてはならない。何故ならチャンピオンだから。チャンピオンになってしまったから。そう思うといろいろときつい気持ちになってしまう。本当は、その場所は拳王や北宮、もしくは潮崎や中嶋が立っているべき場所なのだ。「そんなところに清宮が立っているなんて」と言うつもりはない。ただ、「そんなところに清宮が立たなくてはいけないなんて」…と、つい言いそうになってしまう。

 

未だに私は、デビューして1年も経たずに彼が鈴木軍との抗争に身を投じたことが引っ掛かり続けている。デビューしたての若者は先輩レスラーとできるだけシングルをやってぼこぼこにされるべきだという考えは最早古いのだろうか?全日で順を追ってきっちり育てられてきた若手を見てきたから余計にそう感じてしまうのかもしれない。勿論彼ら全日の若手も団体に人が少ない中でメインに立たなければならないことが多かった。ただし徹底的に叩かれて鍛えられ、勝利は遠かったと記憶している。メインに立ったとしても圧倒的な力量差に叩き潰されるという健全な構図を見てきたからこそ思うが、デビューしたての若手が反則三昧の半乱闘試合を幾つも経験せざるを得なかったというのは…言っても仕方のないことだが、やはりいいことではなかったと思う。当時の状況を考えると、本当に、言っても仕方のないことだが。
思えば怒濤の3年間だった。デビューしてすぐにあんな試合をさせられて、7ヶ月で鈴木みのるシングルマッチ。漸く普通に試合ができるようになったと思った途端に海外遠征。戻ってきていきなりタイトルマッチ。タッグリーグ優勝、最年少GHCタッグチャンピオン、グローバルリーグ優勝、最年少GHCチャンピオン…。ラジアントホールで「このベルトをとるまでいろいろあったんだよ」と言っていたが、確かに彼は怒濤のレスラー人生を送っている。(まあ「その台詞熊野くん(シングル100連敗・初勝利まで2年)の前で言えるの?」という感じもあるが…。)
それでもやっぱり、たったの3年だ。どんなに濃密な3年間だったとしても10年や20年には比ぶべくもない。彼の真っ直ぐで明るくてきらきらした言葉に、私はどうしても心を動かされない。もう若くないからなのだろうか。会場では多くの若い声が清宮の名前を叫んでいる。それはとても良いことだと思う。でも、拳王のマイクに喝采が起こったことは覆しようのない事実なのだ。

 

「昨日拳王さんの言葉に対して大きな拍手が起きたとき、本当に悔しかった。でもそんな時、声援を送ってくれる人もいた。だから俺はこれからも自分の意思で動くし、自分自身の夢を叶える」
良い子だな、と思う。自分を応援してくれているファンのことをよく見ている。その声援に報いようとしている。
それでもただ一言、見返してやるとか覆してやるとか、言ってくれるだけでいいのにな。私は君に見返されたいし考えを覆されたい。あっと驚かされたい。君の言葉に涙を流してみたい。心を動かされたい。君の試合に、熱狂してみたい。

あの時、拳王に突き放されて出てきた清宮の声は、その可能性を十分に秘めていた。チャンピオンになって以来彼があんなに感情を剥き出しにした姿は初めて見たような気がする。泣いているのかと思えるくらいに揺れた声と、ギラギラした瞳。あんな姿が見られるなんて思っていなかった。拳王の行動一つで、地に足がついた22歳の青年の姿が浮き彫りになったのだ。

 

ラジアントホールで目の当たりにしたその光景は、私にとってある意味衝撃的だった。

 

最初に思ったのは、拳王は本当に凄い、ということだ。それからすぐに、清宮に嫉妬した。清宮には、引き寄せて、突き放してくれる人がいる。これからエースになるであろう青年に、こんなに早い段階で強いライバルが現れてくれた。宮原にはいなかった存在が。いなくなってしまった存在が…。

 

もしも、と考える。もしも3年前、宮原に拳王のような人がいてくれたら。そうしたら3年間、一人でやり続けなくてよかったのに。過去を切り捨てて今までの自分に蓋をして、別人になる必要はなかったかもしれないのに。もっと彼の喜怒哀楽を、一人の人間の生きざまを、リングで見られたかもしれないのに。
そしてその存在は、潮崎だったはずなのに…。

 

勿論潮崎を責める気持ちなんて微塵もない。お給料の問題でやめるのは普通。当たり前。私もやめたし。仕事量増えるのに給料下がるって言われたらやめるに決まってんだろ××クリニックさんよ。(潮崎の場合は諏訪魔さんにも問題があったんだろうけど。生まれ育った団体を辞めてまで求めた運命の相手が他所(しかもIGF!)にほいほい行ってしまったら、そりゃあ落胆しますよね…。)

 

全て、今更考えても仕方のないことだ。わかっている。過去は覆らないし今となっては考える必要もないことなのだから。宮原は何もかも全て自分でやって、自分で自分の努力に報いたのだ。本当に強い人だと思う。私は心が弱いのですぐこういうことをぐちぐち考えて悲しくなってしまうけど、だからこそそんなことを歯牙にもかけない彼が好きなのだ。心が強すぎてやっぱり怖いけど。
でもやっぱり、「こうなるかもしれなかった」という可能性を目の前で見てしまってそこそこ衝撃だったし、羨ましいと思ってしまった。拳王は本当に凄い。絶妙なタイミングで絶妙なマイクで清宮を突き放した。突き放してくれた。自らパートナーの座を降りて、ライバルの座に行ってくれた。そういう存在ってどのくらいいるのだろう。団体のエースと呼ばれる人に、エースと呼ばれるようになるであろう人に、どのくらいの確率で現れるのだろう。

 

「エースというものは他のレスラーの価値観について理解することができない。一緒に共感できない」
これこそが、宮原が棚橋をリスペクトしている所以なのだと思う。エースという存在になるということはそういうことなのだと思う。けれど清宮がそうなるには、まだ早すぎる。キャリア3年。22歳。彼に必要なのは、まだ孤独ではない。

 

宮原健斗に拳王のような存在がいなかったことが悔しい。清宮海斗には拳王がいることが羨ましい。
だからこそ、清宮がその存在を失わないことを祈っている。彼等が離ればなれにならないことを、私は静かに祈っている…。

 

 

清宮選手へ。一人で戦わないでください。前しか見ていないと一人になってしまうから、いろんなところを見てください。貴方の向かいには今拳王という強くて頼もしいライバルが立っています。それって本当に恵まれていることだと思います。真っ直ぐな目で期待を背負った顔で、「みんなと一緒に」「新しい景色を見せます」と言っている貴方より、ぎらぎらした目で泣きそうな声で、「自分の気持ちでやってるんだよ」「会社にレールを敷かれたレスラーなんかじゃない」、そう叫んでいた貴方はずっと人間らしかった。ベルトを抱いて張り詰めた顔をしている貴方より、ゴングの前に拳王に殴りかかった貴方の方が生き生きとして見えた。そういう姿をもっと見たいんです。もっと試合を通して貴方という人の内側を見たいんです。だって私たち、まだ貴方のことを全然知らないから。

 

 

宮原健斗という奇跡の存在を見続けてきたからこそ、清宮海斗という輝かしい星には別の道を進んでほしい。そう願って止みません。

 

 

清宮くん、どうか人間のままでいてね。

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2019.5.11

2018年世界最強タッグリーグとジョー・ドーリングについて

※全敬称略

 

 

 

12月11日、約一ヶ月に渡る世界最強タッグリーグ戦が終わった。平成最後の最強タッグ。平成最後のオリンピア

 

優勝はジョー・ドーリング&ディラン・ジェイムス組だった。外国人選手同士のタッグでの優勝はババ・レイディーボンダッドリーボーイズもといチーム3D以来13年ぶりだったのだという。2005年以来。2005年といえば諏訪魔がまだデビュー1年、現三冠王者の宮原はまだデビューすらしていない。

 

準優勝は諏訪魔石川修司組。昨年の覇者であり、2017年の東京スポーツプロレス大賞で最優秀タッグチームに選ばれていた。そして今年も、優勝は逃したものの最優秀タッグ受賞。小橋、三沢が1993年・1994年に果たした以来の2連覇とのこと。24年ぶり…約四半世紀ぶりの快挙。本当におめでとうございます。

 

そんな2チームが戦った優勝決定戦。私は少しだけ祈るような気持ちで試合開始を待っていた。石川の肩の調子もそうであるし、何よりジョーの腕の状態が心配でならなかった。

 

12月1日、全日本プロレス公式からジョーの欠場がアナウンスされた。胸の怪我で精査のため一時東京へ。その後、大阪大会から復帰することが発表された。その間約1週間。
傷病名は、ジョーのフェイスブックで本人が書いていたが公式が発表していないので控えておく。全治4週間だったそうだ(FBより)。それをジョーは、1週間で復帰して公式戦に戻ってきた。FBに上げていた写真では怪我の部位のかなり広範囲が青黒くなっていたが、リングに上がったジョーはテーピングをしておらず、青黒い部分も小さくなっていた。とは言っても全治4週間と診断された怪我を、1週間の休養で出てきたのだ。当然動きは精彩を欠く。序盤は良いとして、試合の途中から左腕を使わなくなっていることは見ている観客にも伝わっていた。
大阪大会、公式戦でvs野村&青柳組。京都大会、公式戦でvsゼウス&ボディガー組。野村・青柳には負けたもののゼウス・ボディガーとは真っ向からのパワー勝負で勝利。得点12点で同点トップ。残すは最終戦、後楽園で諏訪魔・石川組とのメインイベントのみ。

 

京都大会で、会場に入ると目の前の売店にジョーが立っていた。友人がTシャツを購入し、二人で腕は大丈夫かと尋ねる。お金を数えながらジョーはちらりとこちらを見て、大丈夫だと答えた。歯切れの悪い言い方だった。
売店でのジョーはリング上とは雰囲気が全然違っている。リング上でど迫力のパワフルなファイトを見せる彼は、売店では紳士的で優しく、そしてとてもチャーミングだ。話す時はいつもこちらの目を見てくれる。きっと、沢山のファンから伝えられる拙い英語や英語まじりの日本語、ストレートな日本語をきちんと理解しようとしてくれているのだろう。かく言う私も拙い英語でジョーに話しかけることがあるが、ジョーはいつでも「ちゃんと聞いてくれている」と感じられる対応だった。
だから、歯切れの悪い返答に不安を感じざるを得なかった。勿論親指をたてて大丈夫と答えられる怪我ではないことはわかっている。ただの観客一人にできることは声を張り上げて応援することだけだ。結果がどうなろうとも、どうか無事に完走してほしい。そう願って京都大会を終えた。

 

終戦当日。売店にいつも通りジョーがいた。初めて見るポートレートを売っていたので思わず購入。相手を威嚇する顔で、拳銃を構えている…。自宅で撮影したのだろうか。そう思いつつサインをもらい、お金を払う。五千円札を渡すとジョーは取り出した千円札の束をそのまま渡してこようとした。恐らく10枚はあるであろうそれに私が受け取るそぶりを見せると、ジョーは肩を竦めながら手を引っ込めた。日本語でごめんねと言って四千円を返してくる。いつものチャーミングなジョーで、なんだか嬉しくなる。
自分が撮った写真にもサインをもらって(そこでも可愛いことが起こったが割愛)、握手をするとジョーが「Thank you for the support」と言った。今まで何度かグッズを買っているが、そう言われたのは初めてだった。その時強く、彼に優勝してほしいなと思った。

 

ジョーが復帰してもうすぐ2年になる。

 

2016年のチャンピオンカーニバル。そこに、ジョーのエントリーが発表された。実に9ヶ月ぶりの全日本プロレスへの帰還で、多くのファンが心から喜びそれを楽しみにしていた。ジョー・ドーリングが、漸く全日本プロレスに帰ってくる。
そんな驚きと感動を、一気に別の驚きと落胆、不安に変えてしまったのがジョーの病気だった。悪性脳腫瘍。それがどのくらい危険な状態なのかということは、医療の知識がない素人でもわかることだった。どんなに強いプロレスラーでも内臓や神経は鍛えられない。ましてや脳なんて。復帰どころか、生死に関わるかもしれない事態に多くのファンが不安を感じたことだろう。海外ではジョーへの資金援助が始まっていた。全日本プロレスも募金を開始し、そして、大きな白いEvolutionのフラッグを会場に設置した。机の上に広げられたそれは、寄せ書き用のフラッグだった。幾つも置かれたペンにファンが集まっていく。次々にジョーへのメッセージが書き込まれていく。私も英語で、待っているよと小さく書き込んだ。大きなフラッグはあっという間に沢山のメッセージで一杯になった。皆、ジョー・ドーリングを待っている。

 

2016年11月27日、両国国技館大会でジョーは約1年4ヶ月ぶりに全日本プロレスのリングに上がった。相変わらず大きかったけれど、やはり少し痩せたように見えた。必ず帰ってくると力強いマイクで約束してくれたジョーは、それから約1ヶ月後、2017年1月2日の後楽園大会で無事に復帰を果たした。ファンからのメッセージで埋め尽くされたフラッグを掲げてリングに上がるジョーに沢山の紙テープが降り注ぐ。ありきたりな表現しかできないが、本当に感動した。私たちの大好きなジョー・ドーリングが、悪性脳腫瘍に打ち勝って、全日本プロレスのリングに戻ってきてくれた。
復帰戦は相変わらずのパワフルファイトでNEXTREAMを文字通り蹴散らし、見事勝利を収めてみせた。その後の試合も、まだ完全復活とは言えないながらも大きな体をフルに使って、まさしく全日本プロレスという試合を見せ続けてくれた。

 

2017年10月21日、復帰後初の三冠戦。相手は袂を分かったとはいえ盟友でもある諏訪魔だった。試合は、少しだけファンが見たかった試合と違うところもあったように思うが、最後はジョーがレボリューションボムを決めて新三冠王者に。リング上でじっとベルトを抱えている姿も、コーナーでベルトを高々と掲げて叫ぶ姿も、まだ鮮明に思い出せる。一時は険悪な雰囲気になった諏訪魔との握手も感動的なシーンだった。
そして、あのフラッグ。既にEvolutionではなかったにも拘わらず、ジョーはあのフラッグを持ってきて肩にかけていた。

「どの薬よりも、どの先生よりも、みんなの応援が力になった」

そう言っていたジョーは、三冠の次期挑戦者決定戦であった石川との試合にもフラッグを持ってきていた。そして三冠戦でも。そして、その後の防衛戦でも。大一番の試合で、ジョーは必ずあのフラッグと共にリングに上がってくれた。

 

2018年12月11日、世界最強タッグリーグ最終戦。入場してきたジョーの肩にはあのフラッグがかかっていた。事実上優勝決定戦となる試合だ。勝てば優勝。大一番だった。
序盤から派手なぶつかり合い、力比べ。4人の超大型選手が全力で自分たちの力を示しあう姿は圧巻としか言えなかった。コーナーへの串刺しラリアットで床が揺れ、リングがずれるのは今や全日本プロレスくらいではないだろうか。特に石川とディランのラリアットの打ち合いは、衝撃波でもでているのではないかと錯覚するくらいの勢いと力強さだった。ディランが参戦しだしてから度々見るようになった光景だが、お互いロープに走り、ラリアットでぶつかり、お互いふらつきながら自陣に戻っていく。たった一度のぶつかり合いで、観客が驚嘆と感嘆の声を上げるのだ。凄いとしか言いようがない。
ジョーは、既に早い時点から左腕を動かさなくなっていた。スタミナも続かないようで、大技を出してコーナーに戻ることを繰り返した。自然とディランがリング上にいる時間が長くなる。しかし彼はそれでも、不利という感じを受けさせなかった。石川の強烈なエルボーを受けても怯まず、物凄い逆水平を打ち返す。ディランの手が石川の胸に叩き付けられる度、物凄い音と観客の声が重なる。何発も何発も打って、それでも勢いが収まらない。

 

ディラン・ジェイムス。ジェイムス・ライディーン。27歳であの体躯、パワー、ポテンシャルと本当に凄い選手だ。けれど、過去にかなりまずいことをしてしまった。それで抵抗感のあるプロレスファンは少なくないと思う。私も、リアルタイムでは知らなかったが後から何があったのかを聞いたり読んだりして何とも言えない気持ちを持っている。選手としては素晴らしいが…。という気持ち。素直に応援できない引っかかりが、ないといえば嘘になる。

 

それでも、この日のMVPは間違いなくディランだった。動けないジョーの分まで攻める、受ける。とにかく受ける。暴走大巨人二人の怒涛の攻撃を受けて受けて受けまくる。あの活躍は、若くてスタミナがあるから、という言葉で終わらせるべきではないだろう。本調子でないパートナーの分まで戦いぬく姿は、片方が負傷しているタッグとしてあるべき姿を体現しているようだった。諏訪魔が試合後、石川に負担をかけすぎたと言っていたが確かにそうだったかもしれない。負傷している石川ではなく、(首を痛めているのはあっただろうが)諏訪魔が中心となってディランと戦うべきだった。そこが、暴走大巨人の敗因の一つだったのかもしれない。
ラリアット、逆水平、エルボードロップ、ブレーンバスター、チョークスラム。ディランがリング上ですることは常にそれくらいだ。それでも、その全てが規格外で破壊的な威力があり、一発で客が唸り、試合がひっくり返る。試合がひっくり返るということは、それまで受け続けているということだ。幾度となくディランはそれを魅せ、会場のボルテージを上げていった。

 

試合が佳境に入り、二対一の構図が多くなる。諏訪魔が石川を助けるも逆に孤立し、ディランのラリアット諏訪魔を黙らせる。そこからディランが諏訪魔を持ち上げてジョーに抱え上げさせた時、私は思わず叫びそうになった。ジョーはもう、左腕がきかなくて自分で持ち上げられないのだ。それでもジョーは、そのまま諏訪魔を持ち上げてレボリューションボムで叩きつけた。あの豪快な技を見たのは随分と久しぶりで、調べてみると7月29日の大阪大会以来。約4ヶ月半ぶりの完璧なレボリューションボムだった。
諏訪魔が戦線離脱し、粘る石川をジョーがフライングボディアタックで押し潰す。ディランのラリアットが石川を吹き飛ばす。2カウント。地鳴りがする。観客が足を踏み鳴らしているのだ。ディランが吼える。チョークスラムの体勢から、石川をリングに叩きつける。3カウントが数えられ、ゴングが鳴った瞬間後楽園が爆発した。18分52秒。まさしく熱闘だった。

 

リングに運ばれてきた二つの優勝カップは、ロビーで飾られているのを見た時は大きく感じられたのに優勝チームの前に置かれると小さく見えて不思議だった。ディランが片方を両手で抱えて嬉しそうに笑い、ジョーがもう片方を右手だけで頭上に高々と掲げて吼える。プロレス界全体を見回しても圧倒的に大きい選手が集まる全日本プロレスで、一際大きい二人がリングの真ん中で優勝カップを掲げている姿は壮観としか言いようがなかった。

 

ジョーがマイクを取り、「ありがとう」と日本語で感謝を伝える。「Happy New Year!」と叫び、ディランにマイクを渡す。ディランも「ありがとうございます」と流暢な日本語で言うと「Happy New Year! And Merry Christmas!」と叫んだ。
これはこちらの記事

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で知ったことだが、28年前、最強タッグで優勝したスティーブ・ウィリアムスが「Merry Christmas!」と叫んだのだという。今年、多くのレスラーが亡くなり多くの追悼式があったが、その度にジョーが亡くなったレスラーの技をその日の試合で使っていたことを思うと、きっと意識していたのだろう。本当に、優しい人だなと思う。

 

THE BOMBERの曲が流れる中、ジョーはあのフラッグを広げた。エプロンに立って、多くの人にメッセージが見えるようロープにかける。そうして微笑みを浮かべ、片手を上げる姿は言葉にならない美しさがあった。ありがとう、と言っているように見えたのは多分、私の思い違いではないだろう。

 

過酷なリーグ戦、最後に踏ん張ったのはジョー、ディラン組だった。怪我を押して戦線復帰したジョーとそれを支えたディラン。本当に素晴らしいチームだったと思う。勿論参戦した全てのチーム、全ての選手が素晴らしかった。無事とは言えずとも、全員が完走したこと、完走してくれたことに感謝の意を表したい。素晴らしい試合の数々をありがとう。沢山の思い出を、熱い気持ちを、感動を与えてくれてありがとう。

 

2019年1月2日。新年早々に世界タッグのタイトルマッチが決定した。暴走大巨人vsTHE BOMBER。きっとその頃には石川もジョーもコンディションが良くなっていることだろう(そう願っている)。あの熱闘をもう一度、否、もっと凄いスケールで見ることができるのかと思うと今から楽しみでならない。

 

きっとジョーは、このタイトルマッチにもあのフラッグを持ってきてくれるだろう。それを掲げて私たちに見せてくれる筈だ。

 

あのフラッグを持ってリングに上がるような大一番が彼に幾度も訪れることを、私は心から嬉しく思う。

 

Thank you Joe for showing your indomitable spirit. You are a true superman.

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2018.12.15